小樽塩数の子史
小樽で塩数の子が製造販売されたのは明治30年代でこれは恐らく日本国内では最も早い記録ではないかと言われております。それまでは数の子を天日干しした「干し数の子」が主流でしたが、水で戻すのに数日かかるため塩数の子は重宝されることとなります。塩数の子といってもその頃は今のような冷蔵庫のない時代ですから、その製造方法は10石から20石も水の入る大桶に塩漬けにした数の子を4、50日後に桶から取り出して杉材の小さな化粧樽やブリキ缶に詰め、飽和塩水を圧入して販売した品でした。
その化粧樽に正味3kgを詰めたものを5升樽、1.9kg詰めたものを3升樽と称して毎年歳暮贈答品の売り出し季節になると、
北海道はもとより南は九州関西地方をはじめ、関東地方等の有名百貨店食料品売り場には小樽特産の塩数の子化粧樽が高く積み重ねられて一斉に売り出され「年の瀬を告げる塩数の子の売り出し始まる」等と一流新聞紙に書き出され、歳暮の人気商品になりました。
また、この塩数の子樽は外国に支店や取引商社を持つ日本郵船、大阪商船等の船会社社員への贈り物として、小樽の各支店で買い上げられ、小樽に入港した便船に積み込まれて、ロンドン、ニューヨーク、サンフランシスコ、シドニー、ボンベイ、上海等の外国港や基隆(キールン:当時日本の領土であった台湾の貿易港名)、長崎、若松、神戸、大阪、名古屋、横浜、東京、新潟等に送り届けられました。
このように年末商品の花形として人気を集めた小樽特産の化粧樽詰め塩数の子業者は20名にもなり小樽塩数の子製造組合が創立された昭和9年頃には年産額10万樽を超えるほどの盛況を見るに至りました。
然し、昭和8年ころから市販され始めてきた冷蔵庫保管法の塩数の子の人気に次第に押され気味となり、また大東亜戦争中は贈答品の販売に大きな制約をを受けるなどの為、この化粧樽詰め塩数の子は次第に市場から姿を消すようになりました。
当時その組合員で今も尚塩数の子(冷蔵法の品)を製造しているのは祝津の入久三浦水産加工所のみになりました。
(昭和53年2月11日:3代目三浦淳次郎 記)
甘エビ(ホッコクアカエビ)
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